【京都辛口考】2020年、京都の秋
月みればちぢにものこそ悲しけれ わが身一つの秋にはあらねどー大江千里(23番)『古今集』秋上・193
秋の到来と共に、街中、いとど変わりたる。
観光客も、少し増えたる。
されど、繁華街、神社仏閣辺りに於いて、閉めたる店舗、多し。
悲しきは、ホテル、一棟貸しのゲストハウスなり。
空地のまま、放置されたる「ホテル用地」の看板、
人気(ひとけ)無きホテルの前に「営業中止のお知らせ」、若しくは、「所有者、変わりたるお知らせ」の案内版を見るにつけ、
誠に、一年前と較べ、世の無常を感ずるなり。
また、暖簾を出しているものの、夜間、暗きままゆえ、泊まりたる客、居らぬは明白なる、ゲストハウスも多し。
先日など、我が家の近隣のゲストハウスの暖簾が、落ちたまま3日間ほど、管理会社、巡回に来ぬゆえ、放置されたままになりたる。
街中にて、「売り」看板を掲げたるゲストハウスも、散見す。
有為転変は、世の常なるは明白。されど、ゲストハウスの栄枯盛衰の凄まじき様を見るは、悲し。
斯くの如き有様は、京都に限らず、日本中、同じ状況なりと推察す。
なれど、観光地・京都の凋落振りは、甚だしきものなり。
街中の大路、小路を歩きたりて、「寂しき」思ひをするは、我のみ有らむや?
急転直下の経済の落ち込みが、次に引き起こすは、「人災」なり。
人の心が、暗き闇に引き込まれ、人心不安によりて、突発的な事件、事故が起こらぬよう、切に望むなり。
秋の訪れは、収穫の時期なれど、同時に、冬への備えの時期なり。
今後の展開を様々に考えることが、肝要と、我、思ひたる。