【京都辛口考】あぁ、大文字までが・・・
暑き、暑き、京都の盆地より、便りす。本日、 我、京都新聞にて知る。毎年8月16日に行われる京都のお盆の伝統行事「五山送り火」が、今年はコロナウイルス感染拡大防止のため、規模を大幅に縮小して行われることになりたり。
そもそも、送り火とは、お盆の前に彼岸から「おしょらい(御精霊)ーご先祖さん」さんが、此岸(しがん)に来られ、また彼岸に戻られる際に、見送る儀式なり。
京都の五山の送り火「大文字」「妙法」「船形」「左大文字」「鳥居形」の5つ全てが、縮小されるとは、誠に味気無きことなり。
京都新聞によれば、
が、
京都新聞のサイトより
となるとのこと。今年の三大行事全て(葵祭、祇園祭、時代祭)が、縮小された形となるは、誠に残念なり。
その理由が、コロナ禍によるものだとしても、現状、今後も、中止、縮小が続けば、人心、益々、うちに籠りて、鬱屈す。
人の営みには、「ハレ」と「ケ」の双方を必要とす。
「ハレ」無ければ、皆の心、如何になるらむ?
祭の本義とは、「感謝や祈り、慰霊」なり。
来る8月16日、おしょらいさんは、我ら此岸の者を、どう思われるであろうか?
コロナなるものは、疫病ゆえ、100年前のスペイン風邪と同様、終息するには、時間かかりたるたるものなり。
また、毎年、多くの死者を出すインフルエンザと、今回のコロナの罹患率、また、死亡率の相違については、マスコミは、比較した報道を積極的に出さず。
ほんに、おかしきことなり。
今年は、まだ皆、「諸行事の中止、縮小」を我慢しうるは可なれど、来年も、今年が如き様なれば、人心の荒廃は必定なり。
テレワーク、リモートと、文明の利器を駆使して、家にて仕事や生活するのは良し。
されど、本当に大切なのは、直接、人と会ひ、また、何かを体験することなり。
自粛声高に叫ばれる昨今であるが、行動するに際し、先ず自分の頭で良く考えてから行動すれば、良きことなり。
己を過信せず、かつ、複数の情報を入手し、比較、検討後に行動すれば、災厄は避けられるものと覚ゆ。
夏の暑さに負けぬ「身体と心」でありたきもの、と、我、つくづく思ひたる。