【京都辛口考】あぁ、地蔵盆・・・

京の都の地に於いて、「五山の送り火」の後、各町内にて催される「地蔵盆」。常は、「五山の送り火」の週末に催すこと多し。今年は、直前まで紆余曲折あり。

7月末、我が家に回覧板、来たり。

「コロナ禍によって、今年の地蔵盆のお子様の参加につき、安全を考慮して、以下の欄に、お名前、年齢を書きたることを望む」

とのこと。事前の人数把握なり。

本来、地蔵盆は、子供の健やかなる成長を期すために行われたるものなり。

常ならば、お地蔵さんの前にて、子供のためのイベントを用意す。

所によっては、「数回し」をす。大体は、スイカ割、かき氷、綿菓子作り、輪投げ、ミニ映画の上映、ゲーム、子供用の福引などをしたる。

大人は、それを見守りつつ、世間話に興じ、大人用の福引をす。

当日、大人も子供も、三々五々集まりて、互いに挨拶を交わすは、一種の社交場の趣なり。

されど、このような回覧板、回りたるは、全て全てコロナ禍によるものなり。

町内会の役員さんたちの御苦労を思ひたる。

その後、8月16日過ぎて、我が家に、来客あり。

玄関を開けて見れば、町内の我が組の組長さんなり。

封筒を我に渡す。

「今年は、地蔵盆、中止なり。その代わり、皆さんに福引の代わりを差し上げるために、まかり越すなり。」とのこと。

先日の回覧板の後、町内会三役、並びに、各組の組長さんたちの苦渋の決断の結果によりて、我が町内の地蔵盆、中止となりたる。

故に、各組の組長さんは、己が組の家を一軒ずつ回り、封筒を渡したる。

中は、商品券なり。

謝辞を言ひし我。

常ならば、「五山の送り火」の後、最初の週末に行わるる地蔵盆、あっけなく終わりたり。

斯くの如くして、人々の紐帯となる祭と言ふ「ハレ」の場、無くなりたること、誠に遺憾なり。

人々の日常と非日常の場のバランスが、コロナ禍によって分断されたり。

人の意識、内へ内へ、と向かひたる。

いくら、ネット環境を駆使して、互いに繋がりても、その程度、弱し。

人は、人に会うことによりて、己が立ち位置を五感を以って確認す。

コロナ禍の終息を願ふは、皆、同じ。

されど、終息後の社会の有り様、想像するだに、恐ろしき。

御地蔵様、我らを見守り給へ・・・・・