【気学】「六十四卦物語ー1:乾為天(けんいてん)」
これから始まる物語は、「易の六十四卦」にまつわる物語です。易占とは、陰陽二元論を基にして、森羅万象を占っていくものです。占い方には、様々な方法がありますが、「易の六十四卦」から導き出された、ひとつの卦を最終結果とします。導き出された卦は、大成卦と呼ばれています。
まだ春が始まらない、節分前の一月下旬。
ひとりの男の子が、京都にある北野天満宮を訪れていました。
後、高校受験まで、二ヶ月も無い。
京都に来たからには、ちゃんと北野天満宮で、合格祈願しておかないと・・・
中学生は、北野天満宮に来るのは、初めてです。正面の大きな「一の鳥居」をくぐり、楼門、三光門、本殿へ向かう参道の両脇には、牛がいます。
なんで、牛が居るのかな?
右にも左にも、牛が居る。
ここにも、向こうにも、牛が居る。
色んな色の牛が居るなぁ・・・
菅原道真って、牛と、どういう関係なんだろう?
牛は、「神様となられた菅原道真公の御遣い」であることを知らない中学生。実は、牛は、丑とも書きます。道真公が、丑年の生まれであったことと、九州の大宰府で亡くなられた際に、御遺骸を運ぶ牛が、途中で動かなくなった故事に由来します。それ故、道真公と丑は、強い結びつきがあるとされ、境内に多くの「丑」の像が置かれているのです。
参道を行くすがら、梅苑や庭園、色々なお社を横目に見つつ、広い境内を、本殿目指して歩きます。
「星欠けの三光門」として、上空に北極星を頂く有名な三光門をくぐり抜け、やっと、本殿に着きました。
国宝でもある本殿は、重厚な造りの建物です。中には、多くの参拝客が居て、中学生は、びっくりしました。数で言えば、100名以上は、居てたでしょうか。流石は、全国の天満宮の総本社です。みな、お賽銭を入れ、手を合わせ、真剣に祈ってます。
みんな、真剣に祈ってる。
家族全員で祈ってる人も居る。
僕も、合格祈願をしなくっちゃ。・・・
こうして、中学生は、本殿の中に居られる道真公に向け、お賽銭を入れた後、二礼二拍手して、合格祈願をしました。
さて、お参りもしたし、後は、お守りを買って帰ろう。
そう思い、授与所で、多くの人と共に並んで「合格祈願」の「御守」を買う事にしました。「学業御守」、「勧学守」、「学業守」の3種類があります。お小遣いでお守りを買う中学生としては、悩みます。でも、受験なので、奮発して、一番、高い「学業御守」を買う事にしました。桐の箱に入って居て、見ているだけで、凄い感じがします。
ふぅ~~、合格祈願もしたし、早く家に帰って、また、勉強しなくちゃ・・・・。
本殿を出てから、まだ歩いていない道を歩いてみることにしました。本殿の裏側に当たる北側にも、多くの摂社・末社のお社があります。中学生は、一つ一つ見てみるものの、誰が祀られているのか良く分かりません。お賽銭を入れたいけど、お社が多すぎて困ってしまいました。
全部のお社に、お賽銭をあげたいけど、多すぎて回り切れないから、手だけ合わせておこう。
中学生は、そう決めて、お社一つ一つ毎に、頭を下げて廻りました。
ふぅ~~~~、やっと終わった。あれ、出口は、どこだろう?
中学生は、お社を廻るうちに、入ってきた正門(南門)の「一の鳥居」と正反対の北門まで来てしまいました。
北門のすぐ側に、屋台があります。たい焼きを打っている屋台です。北門は、正門とは違い、人が居ません。ほとんどの人は皆、正門(南門)から入り、本殿で参拝後、また、正門に戻っていくからです。中学生は、屋台の人に、正門への道を聞くことにしました。
あのう、すみません。
僕、正門への道が分からなくなったので、教えてもらえますか?そこから、京都駅に行きたいんです。
そう行って、たい焼きやの屋台のおじさんに声を掛けた中学生は、その人の姿を見て、びっくりしました。何だか、昔の人みたいな恰好をしていて、たい焼き屋のお爺さんには見えません。頭には、変な帽子を被り、作務衣の上には、甚平さんみたいなものを着て、足元は、足袋に雪駄(せった)を履いています。何だか怪しそうです。
その人は、中学生をじろりと一睨(ひとにら)みしました。
あ、あのう・・・・。
ぼ、僕、・・・道に迷ったみたいで、京都駅に行く道を教えていただけますか?
たい焼き屋のお爺さんは、中学生を上から下まで、ゆっくりと見ました。そして、おもむろに、こう言いました。
お主、このまま安心してはいかんぞ。油断大敵じゃ。
たい焼き屋の、怪しいお爺さんに、いきなり、こんな事を言われた中学生は、本当にびっくりしました。
(確かに、僕の志望校は、担任の先生には、このままだと大丈夫だと言われているけど・・・)
お、お爺さん、ど、どうして、こんな事をいうのですか?
僕、道を尋ねただけなのに・・・・
ふん、そんなもん、お主の顔を見れば、一目瞭然じゃ。
慢心は、油断に通ず、じゃしな。
どれ、誰も来ないから、暇つぶしに、たい焼き一個、買ってくれたら、易を立てて進ぜよう。
え、・・・・易?
それ、何ですか?
占いですか?
ああ、今どきの若い者は、これだから困る。
古代中国より連綿たる歴史を持つ占術を知らん。
情けない。
お主のような者には、たい焼き一個だから、筮竹では無くて、サイコロを使った略筮法で占ってやろう。
まぁ、どの方法でも、占断の結果は、変わらず、じゃしな。
でも、怖いなぁ・・・もし、占ってもらって、「落ちる」って言われたら、どうしよう?
このまま、このお爺さんを無視して、行こうかな。・・・
こら、坊主。
今、わしを無視しようとしたな。
顔に出てるぞ。
さっさと、たい焼き代を出さんか!
たい焼きの押し売り?
このままだと、簡単に放してくれそうにない。
たい焼き一個なら、仕方ないのかな。・・・
でも、何で、こんな事になってしまったんだろう?
中学生は、結局、お爺さんに言われるままに、250円を払って、たい焼きを買う事にしました。一口かじりましたが、人通りが少ない露店なので、あまり売れていなかったのでしょう。硬いたい焼きでした。でも、さっさと食べないと、また、お爺さんから何か言われそうなので、急いで食べ終わりました。
どうじゃ、美味いじゃろ。何しろ、わしの作ったたい焼きじゃからのう。
占いの味がするんじゃよ。
さて、ここに、サイコロが2つある。そして、もうひとつ、サイコロがある。この3つを両手で持って、心の中で占いたい事を念じつつ、良く振り、わしの座っていた座布団の上に、置け。
何だか良く分からないけど、振らないと、また、お爺さんが、何か言ってきそうだし。・・・
でも、サイコロで分かるのかなぁ?
え~~~い、・・・・「合格しますように、合格しますように、合格しますように。・・・・」
中学生は、先ほどの本殿での合格祈願と同じくらい、真剣に祈って、サイコロを振りました。最初、サイコロをお爺さんから渡された時には、気が付かなかったのですが、振った後の、座布団の上のサイコロは、日ごろ、見慣れたサイコロとは違います。2つは、訳の分からない漢字が書いてある八面体で、もう一つは、漢数字の書いてある普通のものです。
ほう、やっぱりな。
上卦「乾」、下卦「乾」、の「乾為天」・・・・・爻(こう)は「三爻」か・・・・
ふ~~む、やはり、まだ若いからじゃのう。
危ういぞ。ひたむきな努力が足りん。
あのう、お爺さん。きちんと説明して下さい。
僕、たい焼き、買ったじゃないですか?
そうじゃのう。
あのな、易と言う占術がある。
坊主も聞いたことのある、孔子よりも、ずっと昔から伝えられてきた占術じゃ。
森羅万象を読み解くことの出来る占術じゃ。
簡易なサイコロの易占いでも、ちゃんと、易の六十四卦が出る。
それを、どう読み解いていくかが、占い師の技量じゃ。
坊主が振ったサイコロの卦は、「乾為天(けんいてん)」と言って、六十四卦の最初の卦であり、また、変爻が三爻だと言う事は、その乾為天の卦の6つの爻辞の中でも、三番じゃ。
ベスト3かな?・・・・幸先がいいな。
嬉しいな。・・・
ははは、・・・・そうとも言えるが、世の中、そう簡単には行かんぞ。
「乾為天」は、確かに良い卦の部類にはなるが、卦辞(六十四卦)の内容は、中々、意味深なものだぞ。
乾(けん)は元(おお)いに亨(とお)る。貞(ただ)しきに利(よ)ろし。
その意味は、活気や、やる気に満ちている。前向きにして行くが良い。但し、気を急(せ)いてしてはならん。
坊主の振ったサイコロの数字のものは、変爻(へんこう)と言って、6種類あるんじゃよ。それぞれを「爻辞(こうじ)」と呼ぶんじゃ。爻辞は、各爻に対する占辞(せんじ)でな。卦辞に対する対処の仕方よ。
原典ではな、次のようになっておる。
彖曰、
初爻:潛龍勿用。陽在下也。→潜竜(せんりゅう)、用(もち)うる勿(な)かれ。陽にして下に在り。
二爻:見龍在田。利見大人。→見龍(けんりゅう)、田(でん)にあり。大人を見るに利(よ)ろし。
三爻:君子終日乾乾。夕惕若。厲无咎。→君子終日、乾乾。夕べに惕若(てきじゃく)たれば、厲(あや)うけれども咎(とが)無し。
四爻:或躍在淵、進无咎也。→或いは躍りて淵にあり、進めども咎無し。
五爻:飛龍在天、利見大人。→飛竜天にあり、大人を見るに利(よ)ろし。
上爻:亢龍有悔。→亢龍(こうりゅう)、悔(く)い有り。
用九(特別の爻辞):見羣龍无首。吉。→群龍、首なきを見る。吉なり。
この爻は、略筮法では、使いません。本筮法、中筮法では使います。
と言ってな、サイコロの数が、その変爻(爻辞)を表すんじゃ。
卦辞と爻辞の関係は、7割対3割くらいだのう。
「乾為天」は、「龍」を主題にした成長の物語じゃ。地から天へと昇っていくんじゃよ。
坊主の爻辞は、「3」じゃから、まだまだスタートラインじゃな。
じゃから、坊主は、今からじゃ。
己が何をして行きたいかと言う事を、良く考えねばならん。
なぜ、その高校に行きたいか、そこで何をしてみたいか、そこを卒業後、どうして行きたいか、将来の目標を)、今、じっくり考えておるか?
お爺さんの説明を聞いていても、全く意味の分からない中学生です。でも、自分の振ったサイコロが、どうやら、あまり良くない事、今の自分自身の考えている事を聞いているようです。
サイコロが3だと言うことは、合格出来ないんですか?
爻辞には、6種類、あると言うたじゃろ。
初爻なら、潜龍と言って、世に出る前の状態じゃから、時期を待たねばならん。
二爻ならば、見龍と言って、世に出始めた龍じゃ。周りの意見を求めて成長して行く状態じゃ。
三爻ならば、簡単に言えば、スランプの状態じゃな。日々、反省し、復習することが求められておる。
四爻ならば、成功まで、後一歩じゃ。迷うな、と言うもんじゃ。
五爻ならば、成功した状態。運気のピークじゃ。
上爻ならば、成功した後の状態で、これ以上、追い求めては行いけんのじゃよ。
坊主は、三爻じゃし、スランプかのう?
ええ?・・・スランプなんかじゃありません。
ちゃんと勉強してます。
担任の先生には、志望校は、大丈夫って言われてます。
それに、僕には、夢だってあります。今までずっとバスケットをしてきたので、高校に入っても、バスケット部に入って、全国大会に出場してみたいです。
ほう、良いぞ。
ちゃんと目標を持っておる。
じゃがな、自分でやっていると言うことで、自己満足に終わってはいないか?
現状維持は、大切じゃがなぁ、ぁ・・・
でも、目標を達成するために、より工夫や挑戦が必要なのも、これまた真理じゃよ。
で、今、何をしておるんじゃ?
えぇ~~と。
今は、受験前だから、勉強です。
バスケットは、中学でのクラブも卒業したし、たまに友達と息抜きでするくらいです。
ああ、甘い。甘い。・・・
今の状況なら、勉強するのは、当たり前じゃ。
自分の今までの勉強の仕方を再考し、復習に努めねばならん。
それにな、高校に合格しても、すぐに体力は戻らんぞ。
今の置かれた状況に適した体力作りや、イメージトレーニングは、勉強の合間に出来るはずじゃし、いい気分転換にもなるはず。大目標→小目標と、小分けにして、段階を踏んで行くんじゃ。
「文武両道」を目指さんと、高校に入っても、どこかで頭打ちになるぞ。
単調な受験勉強を、如何に未来に繋げて行くか、そのためにも、復習する事の大切さを説いているのが、三爻じゃよ。
この三爻が、縁談ならば、まとまりにくいとなる。取引や交渉事も、同じ内容じゃ。
卦辞が良いが、爻辞が良くない場合は、「調子に乗らず、謙虚であれ」じゃよ。
謎のお爺さんの説明は、分かる所と分からない所があって、中学生には、難しいものでした。
でも、お爺さんが、親身になって言ってくれている事は、分かりました。
お爺さんの言う事は、何となく分かりました。
僕は、先の事を、もっと考えて、今は、復習する時期なんですね。
ふほほ・・・。
そうじゃ。それで、ええ。
目先の事を一生懸命やりつつ、少し先の事も、頭の片隅に思い浮かべてやるが良い。
それが、成功への道じゃ。
易の卦が示した事を受け止め、するもしないも、坊主の自由じゃ。
じゃが、易は、問いを尋ねた者へ、解を与えてくれているのものじゃ。
占った結果を大事にして欲しいのう。・・・
坊主、試験まで油断するでない。
常に、天は、坊主を見ているぞ。
(お爺さんって、実は、凄い人かも?・・・)
お爺さんは、たい焼き屋さんとは、思えないです。
うぉほん・・・
やっと分かったかのう。
たい焼き屋は、世を忍ぶ仮の姿よ。
ふぉふぉふぉ・・・
坊主、合格したら、また、ここに来るが良い。
きっと会えると、僕、信じています。
お爺さん、また、会って下さいね。合格報告がしたいです。
それじゃぁ、帰る事にします。京都駅への道を教えて下さい。
ははは・・・
坊主、お前の左側を見ろ。天満宮の塀沿いの掲示板に、この辺りの地図が書いてあるぞ。それを見れば、京都駅行きのバス停が、すぐ見つかるぞ。
あ、ほんとだ。今まで、全然、気付かなかった。
お爺さん、・・・・あれ?・・・・
お爺さんが居ない。
今、一瞬だけ、左を見ただけなのに・・・・
一体、どういうことなんだろう?
まさか、屋台の中に隠れていることなんて、出来ないし、・・・・・
お爺さ~~~~~ん・・・・・
中学生が、お爺さんと呼んでも、返事はありません。たい焼き屋の屋台の周りを見ても、誰も居ません。ビュービューと、強い北風の音だけがします。
お爺さんが、あっという間に消えてしまった。どうしよう?
あれ、お爺さんの座っていた椅子の座布団に、何かがある。
何だろう?
中学生は、お爺さんの座布団から、小さな物を手に取りました。
それは、小さな小さな「龍」の木彫りの置物でした。
周りには、誰も居ません。寒い北風のせいで、北門近くの木々は、互いにぶつかり合い、揺れています。
中学生は、しばらく、お爺さんを待ってはみましたが、結局、お爺さんは現れませんでした。
最後に、中学生は、その、小さな小さな木彫りの龍を手に取り、「ありがとう。」と、御礼を言って、また、元の座布団に戻して、北野天満宮を後にしました。
その後、中学生は、家に戻り、受験勉強を続けています。勉強をしている時、時折、北野天満宮の御守を見て、あの時の事を何度も思い出しては見るものの、お爺さんが「龍の化身」だったのか、人間だったのか、未だに分かりませんでした。ただ、お爺さんの事を思い出すと、気持ちが、すっと引き締まり、また、新たな気持ちになるのが不思議でした。
その頃、謎のお爺さんは、独り言を呟(つぶや)いていました。
ふぉふぉふぉ・・・
あの坊主は、今も、頑張っておるかのう・・・
易と言う占術は、迷える者を迷いから救うために存在する。
己の意思を天に問い、天の啓示を素直に実践するのが、一番、大切じゃ。
天の啓示とは、己を見つめるためのものじゃ。
天の啓示が良ければ、そのまま進み、悪ければ、そうならないよう対処すれば良いんじゃ。
天は、遍(あまね)く、人々を見守っておる。
皆の志が、良き方向へ向かうのを、本来は、応援するもんじゃ。
坊主は、まだ若いから、わしの話は、分からん事が多かったじゃろう。
さて、また、会う時が来れば良いがのう。
それも、あやつの心掛け次第じゃ。
さて、次は、誰を占ってやろうかのう?
おや、鴨川近くで、悩んでおる者が居るようじゃ。
行ってやらねばならんな。
ふぅ~~~、忙しいのう・・・・・・
じゃが、わしの使命でもあるしのう。
どれ、鴨川まで、ひとっ飛びしようかのう・・・・
そうして、謎のお爺さんは、雷鳴の轟(とどろ)きと共に、鴨川へと向かいました。