【京都辛口考】吹く風の さそふにほひをしるべにて・・・
桜の季節となりました。京都では、市内・市外を問わず、桜が咲き誇っています。題名に記した和歌は、後嵯峨院の「吹く風の 誘ふ匂ひを 標にて 行方定めぬ 花の頃かな」を引用しました。風がもたらす花の匂いに誘われて、何処へともなく、歩いてみるのは、花の咲く頃だろうか」と言う意味です。
本格的な春となりました。今は、暦の上では、卯月から辰月に掛けてですので、「仲春」を少し過ぎたあたりでしょうか。
京都の市内、市外では、桜は、つぼみ、三分咲き、五分咲き、七分咲き、満開、と、様々な様相を呈しています。
今年、私が訪れた「桜の名所」を御紹介致します。
金閣寺の北~西北辺りに位置します。
様々な種類の桜と出会えますが、他にも多種多様な木々ー特に「桃」が秀逸です。
桜と桃の開花を共に愛でる事が出来ます。
北野天満宮から北西すぐの場所にあります。
コロナ禍以前では、神社の西~南西側に、お休み処があり、飲食を楽しめましたが、今や無くなりました。
本殿周囲以外の、多種多用な桜は、紅白の式幕に囲まれた「桜苑」として公開されています。
石清水八幡宮から、徒歩10分。淀川の河川敷に、非常に長い桜並木があります。
とても眺めの良い所です。
「御室桜」で有名な、仁和寺です。御室桜は、まだ蕾でしたが、他の桜は、満開でした。
背後に見えるのは、五重塔です。
街の中心地、四条河原町から東へ少し歩くと、高瀬川となります。
御池通から、七条付近まで、途中、道路によって途切れる事はありますが、桜並木が続きます。
川面に流れる桜花の「花筏(はないかだ)」は、とても風情があります。
桜を見ていると、色々な事が想起されます。
蕾から開花するまでは、非常に速いですね。
愛らしい、可憐、と言う言葉が似合います。
開花しても、時折、風に吹かれると、房も枝も揺れ、落花が早まります。
仮初め、刹那、儚さが感じられます。
落花するのと同時期頃から、若葉が育ち始めます。
こうして桜を見ていると、古来より、人々が、桜花を愛でた歌が多いのが、良く分かります。
桜花に、人生を投影するのでしょうね。
西行法師「願わくば~」、小野小町「花の色は~」、紀友則「ひさかたの~」など、
古来より、桜を詠んだ歌は数多くありますが、
柿本人麻呂の和歌に、「桜花 咲きかも散ると 見るまでに 誰れかもここに 見えて散り行く」があります。
桜の咲き始めから散り際と、旅人の行き来の様子を見て、重ね合わせて詠まれた歌です。
桜=旅人=移り行くもの=時の流れ=無常、と言った所でしょうか?
時の流れと言うものは、決して、後戻りする事は無く、淡々と進んで行きます。
人の生も、同じように、時の流れに沿って過ぎて行きます。
時折、自然を見つめる事で、自分の現在の地点を振り返り、思いを馳せることで、人生を豊かに過ごせるのではないでしょうか?
最後になりますが、春を言い表す言葉は、本当に数多くあります。
中でも、北宋時代の蘇軾(そしょく)の「春夜」の中の一節である「春宵一刻値千金」は、その最たるものですね。
皆様に於かれましても、今の時期を楽しんで下さいませ。