【気学】道真さんに聞きましたー8:「歳破」って、何ですか?

前回に引き続き、 京都の北野天満宮におわします「菅原道真公」と、一人の「迷える気学学習者」との「気学」を巡る対話です。今回は、「歳破」に関するお話です。

道真様、こんにちは。
前回、教えて頂いた「五黄殺、暗剣殺」は、何となく分かりました。
でも、もうひとつの三大凶方位の「歳破」が、分かるようで分からないのです。

「歳破」は、たとえば、その年が「丑年」なら、元々の位置の「丑ー東北」の反対側の位置の「未申ー西南」が凶方位になるんですよね。

ふむ。
その考え方で良いぞ。

お主は、「太歳(たいさい)」とか「太歳神(たいさいじん)」と言う言葉を知っておるかのう?

「太歳」、「太歳神」・・・?
その年を太くする神様ですか?

わはは、・・・・
「太く」と言うより、「吉神」のひとつに数えられておる。

古代中国の天文暦学では、木星が、天球を12年かけて、西から東へと一周する事が、太陽の動き(地である十二支の配置)とは逆じゃな。
で、木星の動きを同じにするため、東から西へと動く「木星の虚星=太歳神」を制定したんじゃよ。そうすると、太陽の動きと一致する。

中国の民間信仰では、「太歳星君」=「土の神」であり、大切にしないと祟りを及ぼすとして恐れられておった。

「方位術」では、その年の十二支が、「中宮」に来ると、元々の年盤上の定位となる十二支の方位が「太歳」に当たるとするんじゃ。なお、吉凶で言うと、吉の神じゃ。

ふ~~~~、しかし昔の人は、本当に、次から次へと色んな「神様」を作り出して行くのですね。

ふん!
何と言う、言いぐさじゃ。
失礼な。・・・

すると、前回の話と同様、今まで無いものが現れる、と言うことは、どうなる?

びっくり説ですね。
バランスが崩れます。

九星方位盤
九星方位盤(北が、上の図:五黄殺は北、暗剣殺は南)
2016年八卦で構成された
十二支図(北が上ー丙申年)

そうじゃ。
前回も言ったが、「中宮」の存在意味から考えるんじゃよ。
例えば、上の図で、「中宮」が「九紫」とだけ書いてあるが、もし、「申」年ならどうなるか?

「中宮」に、申年が来ると、元々の位置に「太歳(太歳神)」がいる事となる。
シーソーの例えで言うと、申年の定位置ー西南の働きが良くなる。

すると、反動で、反対側の圧力が変化する。
反対側は、「申」の場合、「寅」じゃな。
但し、気学は、方位を
「東西南北」の「四正」を「30度」
「西南、西北、東北、東南」の「四隅」を「60度」で分けておるから、
「申」の歳破は、「寅」じゃが、丑を含めて「東北」とされておる。

簡単に言うと、故郷(申ー西南)を離れ、都会(中宮)に出て来た人(年)が活躍してる一方、故郷の方角の反対側(丑寅ー東北)の人が、今まで仲良くしてきたのに、突然、相手ばかり幸せになって割を食う、と言うようなものですね。

ほう、冴えておるな。
そういう言い方も出来るのう。

互いのバランスが崩れると言う事は、片側に「負荷」が掛かると言うことじゃな。
特に、「歳破」は、突発的に災難に見舞われる、と言う特徴があると言われておる。
「破」は、「破れる」とも読める。

例えば、今回のように、「丑寅」が「歳破」ならば、【丑寅ー東北】の方位の象意として、「相続、家族、変化、不動産、財産、住居」などに障りが出る、とも読む。

「歳破」は、毎年、移る。かつ、万人に当てはまる「凶」であるから、気を付けねばならん。
引っ越しや長期旅行には、要注意じゃ。

これで、何となくでも良いから、分かったか?

はい。
今日も、何となく分かりました。
前回の「五黄殺」は、王様で、「暗剣殺」は、被害者。
「太歳」は、神様で、「歳破」は、被害者。
これで、合ってますよね?

単純な分類じゃなぁ?・・・少し情けない気もするが、・・・・
が、そういう覚え方でも、今の所は、まだ学びの途中なので許す。

気学を含め、何千年も掛けて出来た多くの占術には、それに関わった人の、様々な苦労の歴史がある。
そこに思いを馳せて欲しいもんじゃな。

また、次回、会おうぞ。